≪SCENE 3≫


当然と言えば当然だが、水晶玉の述べていた事は当たっていた。

かつて開いた本を改めて読み返して、紅子は愕然とした。
1ページだけ、書き直されているのだ。これでは重要な「ことば」の全体が皆目分からない。
正解が分からなければ、正解を唱えられない。

止むなく紅子は、儀式の準備を始めた。

魔力(観点によっては、超能力や霊能力などとも呼ばれる)という物は、
大きく2種類に分けられる。

物を動かしたり、壊したりする「ちから」。
心を感じたり、操ったりする「ちから」。

紅子が得意分野としているのは、どちらかと言うと、前者である。発火(パイロキネシス)や
浮遊(レビテーション)辺りは、お手の物だ。
が、その一方、後者に当たる予言などは、何らかの道具を使わなければならない。
魅了の能力さえまともに扱いきれない有り様なのだから、仕様がないのかもしれないが。

ともあれ紅子は、水晶玉の助言に従って、予言の儀式を執り行った。
五芒星の書かれた呪符を用いて、その結果、彼女は託宣を受けた。
しかし、その内容は今まで聞いてきたどの時の物よりも奇妙だった。



『何も考えずに、街を歩き続けよ。答えは自ずから、もたらされる』



どう考えても意味不明だった。それでも仕方なかった。紅子は歩いた。
近所から手当たり次第に、毎日アチコチをさまよい続けた。
こんな風に歩き回っていたら、足の方が勝手に地図を覚えてしまうかもしれない。
タイムリミットが間近に迫っている事もあり、そんな空想が頭に浮かびかけた時。



事は動いた。







「待て」

最初は、誰かの会話の一部が耳に入ったのだと思った。

「待てと言っているんだ」

どこか堅苦しい雰囲気の、単調な声。

「立ち止まれ、とオレは言っているんだ。ソコを歩いている、紺色の制服を着て
鞄を持っている、長い髪の女。お前に言っているんだ。聞こえないのか」

「!」

紅子は身を竦ませた。
背後から今かけられた声は、明らかに自分への物だ。だがしかし。相手の声は、
やや高めとは言え、男のそれだ。

絶対にあり得ない事だ。魅了の能力のベクトルを反転させている自分に呼びかける
異性など、いるはずは無い。つまり、導かれる結論は一つしかない。

紅子は背を向けたままで、相手に尋ねた。

「黒羽くん、ですわね?」

「……」

「申し訳ないですけれど。私は今、立て込んでおりますの。あなたのお遊びに付き合う
時間は有りません。速やかに立ち去って下さいませ。変わった話し方などせずに」

「違う」

と応じる相手の声は紅子には、ひどく機械的に聞こえた。

「オレは、そのような名前とは違うぜ。こちらを向け。そうしたら分かるよ」

「……?」

疑問を抱えつつも、紅子は取りあえず振り返ってみた。

「な――!?」

相手を見た途端、紅子は手を口に当てて固まった。
自分のすぐ後ろにいた人物は、確かに彼とは別人の少年だった。
歳の頃も体格も同じくらいだが、気配がまるで異なっていた。

と言うよりも――気配が、無かった。

紅子が幾ら集中しても、その少年からは人間的な気配が感じられなかった。
間違いなく目の前に立っているのに、だ。

少年の服装も、また異様だった。
上から下まで全て黒。組んでいる腕の先の手に嵌めている手袋まで、闇のような漆黒。

肝心の顔の方は、判然としなかった。青の帽子――いわゆるキャップを
目深に被っている。抜けるように白い肌をしている事だけは、何とか分かるのだが。

少年は、再び口を開いた。

「小泉紅子。17歳の女性。江古田高等学校2年B組所属。これで合っているよな?」

「ハイ……」

唐突に詳細な身分を確かめられて、紅子は半ば反射的に返答していた。

「お前に渡しておけ、と言われた物があるんだ。そう命令されたんだよ、オレは。
コレがどういう事なのかは、オレも良く知らない。だけどお前なら、分かるんだろうな」

と、少年は懐から、折り畳まれた一枚の白い紙片を取り出した。

「読んでみろ。お前なら、読めるんだろう?」

言われるままに、紅子は受け取った紙片を開いた。瞬時に、息を飲んだ。
ソレには、自分が知りたかった「ことば」についての文章が書かれていた。
無論、魔法使いの自分にしか読めない特殊な文字である。
そして、その内容は――――――――。

「そんな……コレって、どういう……」

我知らず、呟きが零れる。そのせいなのか、少年は思い出したように付け加えた。

「ああそうだ。お前に伝えておけと言われたんだっけ。
条件によっては、ヒントを一つ、くれてやれ、とな」

「条件?」

「詮索しない事だ。オレが何者なのか、何でお前の事を知っているのか、
何でお前にその紙を渡すのか。その他諸々だ」

「そんな事、決まってますわ」

紅子は、少年に即答した。

「今の私に必要なのは、コレそのものに関する情報だけよ。
あなたや、あなたに関連している人たちの事など気にしませんわ」

それに。紅子は、この少年の正体は何となく分かっていた。

少年には、気配はない。その代わりに感じるのは、彼が背負っている色。
一見、黒と見間違うほどに深い、そんな緋色。色相では、緑の補色とされる色。

「よし。それならヒントだ」

一旦そこで区切ってから、少年は告げた。



「『実は、逆こそが正しいのである』」



「逆……?」

紅子はもう一度、紙片を覗きこんだ。

「!!」

顔を上げた時には、もう遅かった。



相手は姿を消していた。元々、誰も居なかったかのように。






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