≪ACT 1   胎動≫



暑い。


エルニーニョだか何だか忘れたが、夏の気温は今年も異常だ。じっとしていても
汗が流れ落ちてくる。これじゃ、日射病になるのも時間の問題かも……。

「暑いなら、泳げば?」

寝転がっているオレ・黒羽快斗に、相手は身を乗り出して問うてきた。

「快斗だけよ、このプールで水に入ってない人。せっかく青子がチケットあげたのに」

「別にいいだろ。大体、何だってオレなんか誘ったんだよ」

「だって恵子は田舎に行ってるし、紅子ちゃんも用事があるって言うんだもん」

と、我が幼なじみの腐れ縁・中森青子は不満気に言って、

「とにかく泳ごうよ。音楽なんか聴いてないで」

「後でな。後で」

と、オレはイヤホンの位置を直しながら受け流した。

『怪盗1412号、通称・怪盗キッドの犯行は現在まで134件です』

『内15件が海外で、アメリカ、フランス、ドイツなど12ヶ国に渡ります』

『盗まれた宝石類は、のべ152点。被害総額は387億2500万円です』

刑事たちの声が順々に聞こえる。オレ――怪盗キッドのデータを読み上げているのだ。
今オレが聞いている物はズバリ、警視庁内の怪盗キッド特別捜査会議。
分かると思うけど、もちろん盗聴(違法行為)である。

『その怪盗キッドから昨日、新たな犯行予告が届いた』

声が変わった。茶木警視がオレの出した予告状を読み上げる。



   黄昏の獅子から暁の乙女へ
   秒針のない時計が12番目の文字を刻む時
   光る天の楼閣から
   メモリーズ・エッグを頂きに参上する

   世紀末の魔術師
   怪盗キッド



ざわめきの中、茶木警視は話を続けた。

『予告の中の『メモリーズ・エッグ』とは、先月鈴木財閥の蔵から発見された
ロマノフ王朝の秘宝、インペリアル・イースター・エッグの事だ』

『インペリアル・イースター・エッグとは、ロシアの皇帝が皇后への復活祭の贈り物として、
宝石細工師・ファベルジェに作らせた物の事です』

と、別の刑事が補足した。

『1885年から1916年の間に50個作られています。従って今回発見されたエッグは、
51個目となります』

『鈴木財閥では、51個目のエッグを8月23日から大阪城公園内にオープンする
鈴木近代美術館で展示する事になった。そこで暗号の内容だが――中森くん』

『ハイ』

茶木警視に指名されて、中森警部が話しだした。

『まず『黄昏の獅子から暁の乙女へ』。コレは『獅子座』の最後の日の8月22日の
夕方から『乙女座』の最初の日の夜明けまでという事で、犯行の日にちを示す物だ。

次に『秒針のない時計が12番目の文字を示す時』。コレは犯行の時刻を示す物と
思われるが、まだ解読できていない。

最後の『光る天の楼閣』。コレは天守閣、即ち大阪城の事で、キッドが現れる場所を示す。

つまりこの予告状は、『8月22日の夕方から23日夜明けまでの間に、
大阪城の天守閣からインペリアル・イースター・エッグを盗みに現れる』という意味だ』

滔々とした説明に、会場からどよめきと拍手が上がった。

再び茶木警視の声。

『そこで今回は大阪府警との合同捜査になる。なお、鈴木氏のたっての希望で、
名探偵である毛利小五郎氏にも協力を願った』

『ど、どうも』

気弱そうな――あんまり聞きたくない――声を挟んで、茶木警視の声に力がこもる。

『今回の我々の目的は、あくまでもエッグの死守。たとえ奴を取り逃がしたとしても、
エッグだけは――え?』

茶木警視の演説はそこで止まった。中森警部の叫びに取って代わった。

『なんて甘っちょろい事は言ってられん! エッグは二の次だ。いいか、者ども。
我々警察の誇りと威信にかけて、あの気障なコソドロを冷たい監獄の中へ絶対に』

とうとう終いには絶叫になった。

『ぜーっったいにぶち込んでやるんだーっ!!』

『オーッ!!』

雄叫びの連発に、たまらずイヤホンを耳から外した。その瞬間。


「快斗っ!!」


タイミングを計ってされた青子の大声で、オレは完璧にトドメを差された。





冷房のきいた喫茶店に入って、早速1杯目を空にする。

「すみませーん! アイスココアおかわり!」

と店員さんを呼ぶオレに、青子はストローから口を離して、

「そんな一気に飲むと、おなか壊すわよ?」

「平気平気。オレ、丈夫だから」

青子はため息してから、ふと腕時計を見て、

「そろそろ会議、終わったかなぁ」

「ああ。今頃は本庁から現地へ移動してる頃かもな」

我ながら白々しい会話を続ける。

「ところでさ、例の予告って何日だったっけ」

「22日か23日のはずよ。美術館のオープンは23日」

「って事は、今日が19日だから」

指を折って数えてみる。

「4、5日は向こうに居るってわけか。あの人」

「うん。本当はギリギリでもいいらしいんだけど。お父さん、キッドが気になるから
早めに大阪に行くんだって」

中森警部の愛娘でもある青子は、そう言った後、

「あーあ。今週はお父さん、久々に休めるって言ってたのに。キッドのおバカ」

オレは、思いきって口火を切った。

「なぁ青子。実はオレ、いい物持ってんだけど」

「え?」

オレは懐からブツを取り出した。ソレを見て、青子は目を丸くして、

「そ、ソレって」

「そ。東京――新大阪間の新幹線往復切符」

無論、宿だってちゃんと押さえてある。

「せっかくの夏休みを使わねー手はねーよ。どうせなら会いに行っちまおうぜ? な?」

「う、うん。でも……」

「あ。金の事なら心配すんな、オゴるよ。おめーにはいつも世話になってるし」

「……」

明るく話すオレとは裏腹に、青子は険しい顔になって、

「何かおかしいわね。本当の理由は何なの? 正直に言ったら?」

「へ!? ば、バーロォ、別に理由なんかねーよ。オレはただ純粋な真心で」

「快斗」

「……ハイ」

「まさかとは思ってたけど、あんたやっぱり……」

「やっぱり?」

「とうとうキッドの追っかけやる気ね!?」



――どがしゃっ!



青子のナイスなボケに、オレは景気よく引っくり返った。







  ………………ちゃん………………。

声が聞こえる。高い声。女、イヤ、子供の声だ。

  ………………おねーちゃん………………。

誰かを呼んでる。大きな声を出して、駆け回ってる。

  ………………おねーちゃんてば!

不安になって見回して、そして、あっと声を上げた。

  ………………良かった……もう会えないかと思った………………。

  ………………ソレはこっちの台詞よ………………。

呆れたような、でも暖かな、そんなあの人の声。

  ………………もう、目を離すとすぐどこかに行っちゃうんだから………………。





「快斗」

呼ばれる声で、オレは夢から覚めた。ドアからおふくろが、顔を出してきている。
そうだ、プールから帰って来た疲れで、今夜は早めに寝たんだっけ。

「クラスの子から電話よ」

「電話? 誰から」

「女の子よ。小泉さんって人」

オレは渋々、階下に下りた。受話器を取った。

「もしもし?」

『こんばんは、黒羽くん。お久しぶりですわね』

クラスメイト・小泉紅子の声が耳に届く。

「いったい何の用だよ、こんな時間に」

『ええ、ちょっと御忠告を申し上げたくて』

「あん?」

『あなた、先日も警察の方とお遊びになってましたけど』

「よ――」

余計なお世話だ、という台詞を無理矢理飲みこむ。

「あのな。どうせまた『今回の仕事はおやめなさい』とか、ワケ分かんねーこと言うんだろ?
そんな用事なら切るぜ?」

『いいえ。もう無理には止めません』

「?」

『一度廻り始めた運命の輪は、もう誰に求められません。神の御手でさえも』

「……」

『でも一つだけ、お願いします。一つだけ』

紅子の声は、小さすぎてよく聞こえなくなっていた。オレは受話器に耳を近づけた。

『……とだけは、決して争わないで』

「えっ? お、オイ待てよ。何が何だって? オイ、オイったら」

通話が切れてからも、オレは暫く声を張り上げ続けていた。





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