もう一つの世界にて

≪SCENE 1≫


時は夜。世の大半の者は、深い眠りに落ちる頃。
黒羽快斗は、寝室に向かおうとしている自分の母親に声をかけた。

「おふくろ」

「アラ、何?」

と、彼の母親は笑顔で振り返る。ソレに対して快斗も笑顔で、

「オレさ、今夜も部屋で勉強してるから。邪魔されたくないんで、”絶対に”入って来ねーで
くれよ」

「ああ、そう……」

ほんの一瞬だけ、僅かに――ごく僅かに空気が凍る。

「分かったわ。でも、あんまり根を詰めないようにね。体には気をつけないと」

「ハイハイ」

母子の会話は、あくまでも穏やかに進んでいった。
だが彼らは知っている。互いの言葉の、真なる意味を。

ただしソレを言ってしまったら、二人の全てが壊れてしまう。
そう断言できるほど、彼らが持っている「秘密」は重かった。

それでも、母親は敢えて息子に問うた。

「ところで今日は……外? それとも中?」

「中……かな?」

「そう。ならいいの」

と答える母親の顔は、心なしか安堵しているように見えた。
快斗は真っ直ぐに自室へ歩き、ドアの向こうに姿を消した。





「ったく、何か変な感じだよなぁ。これと言うのも」

皮肉気に言いながら、快斗は自室の壁に張られたパネルを眺めた。

「全部あんたのせいなんだぜ、おやじ?」

大判の写真パネルの中で、純白のスーツ姿で微笑む紳士。やはり純白の鳩たちに
囲まれたその肖像は、希代の名マジシャンに相応しい威風を放っている。

8年前に事故死した(と世間では言われている)、この自分の父親・黒羽盗一こそが、
今の快斗にとって生活の中心と言えた。唯一の肉親とも言える母親にまで
嘘をつかねばならない理由もソコにある。

快斗はパネルの枠に手を触れた。微妙な操作でロックが外れる。手を放し、今度は
パネルを直に押した。


――がこっ……。


くぐもった音と共に、パネルはどんでん返しのように回転した。そのまま快斗は、
パネルの向こう側――開いた穴の向こう側へと入って行く。

快斗の姿が見えなくなっても、パネルは暫く回転を続け、やがて何事も無かったかの
ように停止した。しかしそのパネルの写真は、先程とは全く異なる裏面を見せていた。

闇を背にして、純白のスーツ・マント・シルクハットに身を固めた男。
世間では「怪盗キッド」と呼ばれている、希代の大泥棒の肖像である。





快斗は壁に歩き、照明のスイッチをONにした。明るいとは言えないが、
それなりの光が部屋を照らす。足下に注意しながら、部屋の奥へ進んで行った。

父親が使っていたらしいこの隠し部屋を見つけた時は、正直なところ腰を抜かした。
間もなく後にその父親が泥棒だったとか、その泥棒の名を自分が継ぐ事になったとか、
次々と驚愕の事実に襲われたのだが、初めてココを知った時の衝撃はもっと激しかった。

今ではココは、すっかり快斗個人のアジトになっている。因みにさきほど母親が
快斗に尋ねたのは、今夜いるのは「家の外」か「家の中」かという事。「中」とは即ち、
この部屋の事なのである。

「さぁて、今日の収穫は……と」

独り言を呟きながら、快斗は使い慣れてきたパソコンを起動させた。

快斗は昔からコンピューターには興味があった。事実、幼い頃にも触っていた
記憶がある。
ただし本格的に扱い始めたのは最近の事。コンピューターのデータを駆使してくる
少年探偵の登場が、取りあえずのきっかけだった。

もともと頭脳明晰な彼のため、上達は早かった。今ではこうして架空のIDでインターネットに
侵入するくらい簡単な話である。もっとも、快斗が行うのは専らシステムに対する
ハッキング(侵入)であり、クラッキング(破壊)の経験は一度も無い。

目的の箇所を一通り巡回してから、快斗は自分のメールボックスを開いた。
どういうつもりか紛れこんでいるspamメールなどを廃棄する内、やや趣の違うメールが
1通ある事に快斗は気づいた。



件名………はじめまして!
送信者……"魔法使いの弟子"



……「魔法使いの弟子」って……ああ、あの子か。

何だかヒロイックファンタジーの登場人物のような名前だが、勿論コレは仮の物。
当然ながら、インターネットではおなじみの、ハンドルネームである。

数ヶ月前に、快斗は或るサイトを知った。名前は「奇術愛好家連盟」。
マジックをこよなく愛する者たちが集まる広場、などと銘打たれていた。

初めは何となくROM――覗いていただけだった。が、参加者の中に聞き覚えのある
ハンドルネームを見つけた時、思いきって中に飛びこんだ。

純粋に参加したいという気持ちもあったが、実は快斗にはもう一つ思惑があった。
この仮想の世界では、人は老若男女どんな者にも化けられる。さしたる道具も
使わずに。ソレを確かめてみたかったのだ。

異性に(特に男が女に)化けるパターンが、世間では最も多い。だからソレだけは
避けた上で、快斗は別人「レッドヘリング」として振る舞い続けた。

その結果、快斗に一番懐いてきたメンバーが、前述の「魔法使いの弟子」だった。
本人は30歳の男性を名乗っているが、本当はまだ若い女性、それも高校生くらいで
ある事は明らかだった。何せ定期試験の時期になると、アクセス数が格段に減るのだ。
オマケに今時のブランド品について妙に詳しかったりするのだから、笑える。

そんな「魔法使いの弟子」から届いたメールである。快斗は少々嫌な予感をおぼえつつ、
内容を閲覧した。








レッドヘリング様


初めてメールさせてもらいます。
私は、いつも「奇術愛好家連盟」でお世話になっている「魔法使いの弟子」です。
今回は、改めて自己紹介をしようとメールしました。

私は皆の前では30歳のオジサンのふりをしてますが、
本当は、まだ17歳の女子高校生なのです。
名前は鈴木園子といいます。驚かれましたか?

なぜこんな告白をしたかといえば、私はレッドヘリングさんの大ファンなのです。
この前の掲示板でも、私がした質問に真っ先に答えてくれましたよね?
あなたの説明に、私は毎回助けられています。

ところで、レッドヘリングさんのお名前は、本当は何というのでしょう。
自分の事を「僕」と言って(?)いるのだから、男性の方なのですよね?
私と同じ高校生だったりしたら、とても嬉しいのですけれど、
雰囲気から考えると、たぶん年上なのでしょうね。ちょっと残念です。

それでは、またメールします。お返事待ってます。


「魔法使いの弟子」こと鈴木園子  sono@###.ne.jp








「……………………え?」

読み終わってから暫くの間、快斗はまさに呆然と固まっていた。
目をこすり、文章を最初から最後まで読み返す。何度もソレを繰り返したが、
大した意味は無かった。

鈴木園子。

知っている名前だった。もしくは知っている名前と同姓同名だった。けれど年齢までも
同じというのは、偶然としては恐ろしすぎる。同一人物の可能性は高いかもしれない。

快斗と彼女――正確には彼女の家とは、浅からぬ因縁があった。
彼女の家が持っている宝石を、かつて快斗は標的にした。その成果についての説明は
割愛するが、とにかく快斗にとって彼女の家は目の離せない存在だった。

……こりゃ確認してみた方がいいかもなぁ……。

厄介な仕事が増えてしまった。そしてこの「魔法使いの弟子」があの鈴木財閥の
お嬢様だとしたら、更に頭の痛い事になる。警察や探偵の知り合いがいる人間とは、
あまりお近づきになりたくないのだ。まして、こんな息抜きの場では。

何はともあれ、差し当たっては返事を書かなくてはならない。
気を取り直して、快斗はメールの返信を行った。





next

『まじっく快斗』作品群へ戻る


inserted by FC2 system