月の輝く夜に。

≪SCENE 1≫


月の綺麗な夜だった。
愛用のパイプに火を点けようとした事も忘れ、彼は暫く夜空を見あげていた。

彼の名前は、中森銀三。職業は、警視庁捜査2課刑事。因みに、階級は警部。
そんな彼が今こうして、自宅近くの無人の公園に一人で立っているのには、
勿論ワケがある。

事の始まりは、今朝。
一人娘を送り出してから職場へ向かい、自分のデスクにつこうとした時だった。

積んである書類の間から不自然にはみ出ている、見覚えのない角封筒。
予感をおぼえて開いてみると、中の手紙にはこんな文章が書かれていた。





   親愛なる中森警部殿
   貴方が今大切になさっている物を、頂戴いたします。
   その代わり、貴方の求めておられる物を差し上げます。
   この意味を知りたくば、どうぞこちらにお越し下さい。





この後に続けて、待ち合わせの日時と場所とが記されていた。
差出人の名前もあったが、確かめるまでもなかった。あんな折り目正しい、
もとい慇懃無礼な手紙を寄越してくる奴は、中森の知る限りでは一人しかいない。

その場の同僚たちに知らせるべきかとも思ったが、結局誰にも告げなかった。
下手に事を荒立てると、たちまち収拾がつかなくなる。(一応)上司である茶木警視などまで
乗り出してきたら、最悪、奴が現れないという事態にもなりかねない。

何より、奴を捕らえられるのは、奴を新米時代から追い続けている自分しかいないという
自負が中森には有った。しかも今回は、秘密兵器だって持っているのだ。

中森はもう一度、奴の指定を思い返した。書いてあった時刻は午後8時ジャスト。
腕時計を見てみると、あと1分足らずに迫っていた。

基本的に、奴は時間には正確だ。
来ると言ったら来る。盗むと言ったら盗む。そういう男だ。
……と言っても、そもそも男か女かさえ不明なのだが。

そんな思いを巡らせている内に、約束の刻が来た。
反射的に、周囲の景色に目を配る。木陰、物陰、夜の闇の陰に紛れて、
奴はドコから現れるか分からない。が、それらしい気配は全く感じられなかった。

もっと周りを調べるべきかと考えた時、驚くべき声がかけられた。





「お父さん!?」

「あ、青子!?」

中森の姿を認めてから、息を切らせて走って来た少女。名前は中森青子。高校2年。
前述した、中森の娘である。

「お父さん、どうしたの? こんなトコでボーッとして」

「イヤ、ソレは……」

と、ひとまず言葉を濁してから、

「そういうお前こそ、一体どうして」

「あっ、そうそう」

と、青子は心配気な表情になって、

「お父さん。こっちに快斗来なかった?」

「快斗くん?」

娘の幼なじみにしてクラスメイトである少年の名前を出されて、中森は更に困惑した。

「10分くらい前だったかな。暑いから、ちょっと外で風に当たってたんだけど。
そしたら快斗がこっちの方に走ってったのがチラッと見えたの。
何か凄く急いでるって感じで。
それでどうしたのかなって思って、追っかけて来ちゃったんだけど」

「本当か、ソレは? 本当に快斗くんだったか?」

「うーん……」

と、青子は暫く言い淀んでいたが、思いきったように言った。

「そう言われてみると、何か感じが違ってたかも。でも、アイツだったと思うんだけど」

その証言を受けて、中森の顔が厳しくなった。

「……そうか。そういう事か」

「え?」

「つまり、例によって快斗くんに変装しているという事なんだな。
つくづく性格の悪い奴だ、まったく」

「へ?」

独りで思考を加速させている中森に、青子は置いてきぼりを食らってしまう。

「ちょ、ちょっと待って。変装って……まさか」

「お前になら、見せてもいいだろう」

と、中森は懐から手紙を取り出した。広げて青子に示す。
その文面を見て、青子は文字通り目を丸くした。

「コレ……怪盗キッドの予告状じゃないの!」

「そういう事になるな」

鷹揚に頷く中森とは対照的に、青子は甲高い声で疑問を並べた。

「どうして? どうしてキッドがお父さんにこんな物送ってくるの?
宝石とか、後は絵とかしか盗まないキッドが? 一体お父さんの何が欲しいって言うの?」

「ソレは本人にしか分からんよ」

と、中森は首を振った。

そんな青子の反応は、世間の一般人としては当然と言える物だった。

怪盗キッド。18年前から今まで断続的に活躍している、中森の宿敵。
神出鬼没の気障な泥棒。
いつも予告状を送りつけ、得意の手品で警察を翻弄し続ける謎の人物。
その真の胸中を知る人間は、誰も居ない。居ないはずである。

が、だからこそ知りたいと願う人間たちもまた存在する。
中森の他に、数多くの刑事や探偵――その中には高校生や小学生までいる――達も
キッドを捕らえようと躍起になっている。そしてどうも近頃は、そんな新参者たちの方が
注目されているようにも感じる。マスコミによる報道も、そちらに流れがちだ。

だがしかし。あの彼らには全員、決定的に足りない要素がある。

年季だ。

奴を追い続けていなければ、辿り着けない領域。ソコにまで達する事が出来なければ、
奴と本当に勝負する事は出来ない。奴の行動パターンを読む事だけでもそうなのだ。

そう。今夜の奴との戦いは、実はもう始まっているのだ――。





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