≪ACT 4  対峙≫



「え? 怪盗キッドのメッセージが?」

「ええ。さっき蘭が引いたカードの裏に貼ってあったのよ」

雄三氏の問いに、園子嬢は上気した顔で答えた。
一方マジシャンは、少女から受け取った紙の文面に顔を歪ませて、

「しかし彼は一体、いつどうやってこんな物を」

「キッドのモットーは神出鬼没……全ては謎というわけか」

「ああ。分かっているのは、奴が既にココに紛れこんでいるという事だけだ」

それぞれ呟く籏本氏と三船氏。
冷静に、と繰り返している茶木警視たちを見やって、毛利探偵は独り言のように、

「まさか奴め、もう本物の黒真珠のありかを」

「大丈夫ですわ」

朋子さんはまだ泰然としている。

「万が一分かっていたとしても、ココは洋上の監獄です。
刑事さんたちがひしめくココから、『Black Star』を奪って逃げ失せるなんて不可能です」

オヤオヤ、いいのかね朋子さん。そんなに余裕で。

「警部。後10分足らずで本船は東京港に入港します」

「よし、この部屋の出入口を固めろ。誰一人外に出してはならんぞ」

中森警部も準備を整え始めた。
それじゃ、そろそろオレもやるか。楽しいショータイムの始まりだ。
オレは素早く仕掛ける。誰にも気づかれないように細工する。

「アラ?」

ふと隣を見た園子嬢は、仰天して言った。

「ちょっと蘭、胸の真珠ドコ行ったの?」

「え?」
言われて、真紅のロングドレスの襟を見た。ブローチの台座だけが付いている。
見回してみると、黒真珠は数メートル先の床に転がっていた。

「すみません! 誰かその真珠拾って下さい」

少女に頼まれて、客の一人が屈んで手を伸ばした。その瞬間、異変は起こった。
真珠から白煙が吹き出したのだ。そして、けたたましい音を立てて四散した。

「え、何?」

「何だ、今の音?」

「真珠だ! 真珠が爆発した」

「ええっ!?」

反射的な一言が、周囲に不安を撒いていく。
気づいてみれば、真珠(のような物)は床のあちらこちらに散らばっている。
それら全てが一斉に──同じように破裂する!

「冗談じゃありませんわ!」

「こんな真珠着けてられんぞ」

とうとうブローチごと外して捨てる者が出始めた。そして、

「逃げろ!」

「爆弾よ!」

一つしかない出ロヘ、津波よろしく殺到する。

「皆さん、落ち着いて! 冷静に」

と、戸口の警官たちが叫んで止めるが多勢に無勢。どんどん押されていく。
朋子さんも、波の犠牲の一人になった。

「あっ!」

「ママ!」

「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう、蘭ちゃん」

すんでの所で、少女が朋子さんの体を支えていた。

「アレ?」

園子嬢は母親の胸に目を近づけて、

「ママのも無くなってるわよ。黒真珠」

「!!」

客たちはおののいた。朋子さんが甲高い悲鳴を上げたのだ。

「キッドよ! キッドに『Black Star』を盗まれましたわ」

「何? じゃ、やはり奥さんが着けていたのが本物か」

と、中森警部たちの注意も朋子さんに引きつけられた。ソレがマズかった。
津波の堤防が──ドアが、破られた。

「逃がすな! 今外に出た奴がキッドだ」

「ハイ!」

あふれ流れていく群衆を、中森警部たちが追って行く。

「蘭ねえちゃん、ポクらも捕まえに行こう」

「え?」

「分かったんだよ」

少女の手をつかんで、少年はキッパリと言った。

「怪盗キッドの正体が、ね」





少年が少女と連れ立って到着したのは、油の臭いの強い機関室だった。

「コナンくん、本当にこんな所に怪盗キッドがいるの?」

その質間には答えず、少年は話し始めた。

「蘭ねえちゃん。宝石言葉って知ってる?」

「宝石言葉?」

「園子ねえちゃんのお母さんがヒントをくれたんだ。
本物の黒真珠は最も相応しい人に預けてる、ってね」

と、少年は奥からサッカーポールを持って来た。ソレを膝でリフティングしながら、

「真珠の宝石言葉は『月』と『女性』。船に乗っているお客さんの中で、
名前に『月』を持つ女の人は、『鈴木朋子』さんだけだった。
つまり本物は、あの人本人が持っていたんだ」

「へぇ……でも何で、それでキッドの正体が分かるの?」

「カードだよ」

今度はヘディングしながら、

「蘭ねえちゃんが引いたカードに、キッドのメッセージが貼ってあったでしょう?」

「うん」

「あの手品は右手で出した鳩に客の目を引きつけてる隙に、
左手のカードを全部目当てのカードにすり替える初歩的なトリックなんだ。
だからカードを彼に渡す前に誰がどう切っても、引くカードは決まっているわけなんだ」

「そのカードにメッセージが貼ってあったって事は……、
じゃあまさか怪盗キッドの正体は、あの真田っていうマジシャン?」

「違うよ」

ポールは背中を滑り、かかと、そして爪先へ。

「ボクずっと見てたけど、あの人は奥さんに近づいてないもの」

「じゃあ誰なの?」

「もう一人いるじゃない、カードをすり替えられる人が。そう、その人物は床にカードを
バラ撒かせ、拾うふりをしてカードを一枚抜き、メッセージを貼り付けた。
ソレをてのひらに忍ばせて、あたかもカードの束から引いたように見せかけたんだ」

少年のボーイソプラノは少しずつ、しかし確実に、低い物になっていく。

「そうでしょう、蘭ねえちゃん? イヤ」

少年はポールを止めた。相手の名を呼んだ。

「怪盗キッドさん!」





どうか察してほしい。その時オレがどれだけ面食らったかを。
いきなり胸を撃ち抜かれたような気持ちだった。表情にこそ出さないものの、
頭の方はパニック寸前だった。

どうして見抜かれた? ドコでしくじった?
シナリオは完璧だったはずだ。
「Black Star」を手に入れた今、オレは勝利を確信していた。
そろそろ脱出するハラでいた。コレが例の石かどうかの確認もしなきゃならないからだ。

オレはずっと貴様のそばにいてやったんだぜ──そんな捨て台詞まで
用意してあったってのに……まさに悪夢だ。
大体何だってコイツ、てめーの保護者まで疑えるんだよ?
絶対に歳偽ってるだろ、オイ!?

「お前が蘭とすり替わったのは、蘭がオレを捜しにパーティ会場を出た時だ。
見事だぜ、全く気づかなかったよ」

背を向けたまま話す少年。

「まんまと蘭に成りすましたお前は、例のメッセージで客を動揺させた上に、
煙をふいて破裂する黒真珠をバラ撒いてパニックに陥れた。そしてその混乱に
乗じて本物の『Black Star』を奪い取ったんだ。奥さんの体を支えるふりをして」

「……」

「奥さんが模造真珠を大量に造らせていた事も、知っていたんだろう?
あんな花火を用意してたって事は」

「冗談はやめてよ」

かすれた声を絞り出す。

「わたしドレが本物かなんて知らなかったよ? ヒントなんて聞いてなかったし」

「ヒント無しでも、お前にはアレが本物だと分かっていたはずだ。
奥さんが手袋をして、小箱から黒真珠を取り出した時点で」

「え?」

「真珠の主成分は炭酸カルシウム。アレは酸に侵されやすい。
指の脂で汚れたりすると表面が酸化され、光沢は失われてしまう。
客の中にはちゃんと布越しで服に付けた人も見受けられたけどね。
そんなデリケートな宝石を他人に預けるわけがない」

「でもそれだけじゃ」

「確かにそれだけでは不十分だ。しかし奥さんが着けていた冴えない真珠の事を
重ね合わせれば、推測は確信になる」

「……」

「有名博物館に展示されている昔の真珠がいずれも色褪せてしまっているように、
真珠の光沢寿命は、せいぜい数十年。
60年前に購入された『Black Star』が、今もなお美しい姿であるわけがない。そんな
色褪せた真珠を手袋をして大事そうに扱う奥さんの姿を見れば、一目瞭然ってわけさ」

と、少年は肩を疎めて、

「情けない話だぜ。お前の存在に気を取られて、すっかり忘れてたよ」

「でも、米花博物館の「Black Star」はキラキラしてて椅麗だったけど?」

「だから盗らなかったんだろ? 偽物だと知ってたから」

と、少年は問い返す。

「そして二度目の予告状で奥さんを挑発し、本物を持って来るように
仕向けたんだ。わざわざ『本物の』って記してね」

「分かったわよ」

と、オレは壁の電話機へ向かった。少年を見ながら受話器を取って、

「ココに警察の人を呼ぶわ。それでいいでしょ──」


──ダンッ!!


受話器を持ったままで、オレは硬直した。
コードのつながっていた本体は、無い。粉々に砕け散っている。
少年が蹴りつけたサッカーポールにより、一撃で破壊されたのだ。
コントロールカもそうだが、そのパワーは子供の能力を遙かに超えていた。

「ビルの屋上で消えた時と同じ手は使わせねーよ」

転がって戻るポールを、少年は足で受け止めた。

「あの時お前が警察を呼んだのは、あの閃光の中で素早く警官に扮し、
彼らの中に紛れて姿を隠すためだ。
ハンググライダーで今にも飛ぶかように見せかけて」
「……」
「それにこの場にひとを呼ぶなんて野暮な真似はやめてくれよ。
こっちはこの警戒の中、たった一人で乗りこんで来た犯罪の芸術家に敬意を表して、
こうして二人きりの勝負を仕掛けてやっているんだから」

オレは、覚悟を決めた。
抵抗は無駄だった。今ココにいるのは子供なんかじゃない。
立派な一人前の男だ。

「優れた芸術家のほとんどは、死んでから名を馳せる」

少年のスニーカーが、なぜか淡い光を帯びる。

「お前を巨匠にしてやるよ、怪盗キッド。──監獄という墓場に入れて」





オレは、両手を上げた。

「参ったよ、降参だ。この真珠は諦める」

ハンカチ越しに持ったブローチを相手に示し、ヒョイと放り投げた。
空を舞う真珠を、少年は手を伸ばして受け取った。

「奥さんに伝えといてくれ。『パーティ台無しにして悪かった』って」

「何を今更」

「そうそう、この服を借りて救命ポートに眠らせてる、おめーの保護者の女の子だけど。
早く迎えに行ってやるんだな。風邪引いちまうぜ?」

「?」

オレは胸元を探った。出てくるのは、白い布。

「オレは完璧主義者なんでね」

とブラジャーをひらめかせる。
少年はハッとした顔になった。オレが言わんとしてる事が分かったのだ。
オレは少女に化けてる。オレは少女の服を着てる。という事は――少女本人は?

オレはニヤニヤ笑いを浮かべたまま、この前のように閃光弾を取り出した。
それから少女の顔に戻って、

「それじゃまたね、コナンくん」

「あ」

と、少年が止めるより早く、床に叩きつける。またもや視界は光で覆われる。
深々と一礼──する間も惜しみ、そそくさと退場する。
光が静まった後に残っているのは、今までオレが着ていたドレス。ただソレだけ。

「野郎……逃がすか!」

と、少年は言ってはみたものの。
結局は、少女の方を選んだのだった。





少年は服一式を抱えて、救命ボートヘダッシュする。
何度か足をもつらせながらも、何とか到着する。乗務員たちの会話を耳にする。

「オイ、女の子がポートの中で寝てるぞ」

「とにかくデッキの上に」

「あーっ!! ちょっと待ったぁ!!」

恥も外聞もなく叫ぶ少年。
そんな少年の切望も虚しく、少女の体はデッキの上へ引き上げられた。

「……え?」

少年は呆然と立ちっくす。
自分が持っているのと寸分違わぬドレスを、デッキで眠る少女もまとっている。
ただ一つ違うのは、ブローチの代わりにカードが襟に貼り付けられている事。
その内容を読んだ瞬間、とうとう少年は果てた。





   先日お預け頂いた
   この真紅のドレス
   とてもよくお似合いですよ

   ある時はクリーニング屋の
   怪盗キッド








その様子をコッソリ見物しつつ、オレは爆笑に身をよじらせていた。
大バカ野郎め。怪盗紳士キッド様が、女の子から追い剥ぎなんぞするわけねーだろが。
頭でっかちのわりには純情な奴だ。
けど困った。空にはヘリコプターがひしめいてる。脱出用ハンググライダーは使えない。
それにあのガキの事だ。オレが化けていた事なんか、すぐ中森警部に伝えるだろう。
オレは腕を組んで、天を仰いだ。

……これから一体、オレはどーしたらいいんでしょーか……?





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