≪SCENE 5≫


「そ、そんな……ボクは……」

「黙ったり」

少年の戯れ言を、平次は受け入れるつもりは無かった。

「余計なこと喋ったら、その場でこの首へし折るぞ。とにかく聞き」

平次の口調は、あくまでも淡々としていた。
もしも、普段の平次を知る者がココに居たら。絶句するかもしれない。
今の彼には、三枚目の要素など微塵もなかった。青白い炎のような熱が、
その瞳にあった。

「確かお前、オレに前に言うたよな。事件解決後の事情聴取に立ち合うた事ないて。
人が人を殺す理由や動機なんぞ分からへんて。
つまりお前は、犯罪そのものには詳しいても、その心理については知らんわけや。
せやから必死こいて調べて、ほんで交通事故がどーたらゆう絵空事をひねり出した。
理由までは、オレも良う知らんけど。そういう事やろ?」

「ソレって、自己同一性障害の事……?」

「ああ。そうとも言うな」

こんな時でも律儀に訂正してくる相手には、敬服する。
無意識レベルで言ってしまう自分の方も、これまた悪いのだが。

「ただな、工藤。正直に言わしてもらうけど、お前の理屈はお粗末すぎる。
そもそも複合観念……他人格ゆうんは、主人格とは自我の連続性は無いはずなんや。
まるっきりの別人になってまうんが、その現象の特徴なんやからな。それに」

生徒に教授する教師のように、平次は少年を諭し続ける。

「そういう他人格が生まれる理由。
ソレは、ひとえに主人格の体や心を護り抜くためなんや。
そんな他人格は、主人格を露骨に傷つけたり、まして否定したりするような
言動なんぞ取らん。要するに、お前はちっとも別人なんかやない。
そう、お前お得意の、演技の賜物っちゅう事っちゃ。せやろ工藤?」

「ち、違う……ボクは……」

「ソレは、やめい言うとるやろ!」

「ぐっ……!」

少年の首を握る平次の指に、一層力がこもる。

「オレはやな、寧ろ覚悟してんねや。
お前の心が、いつか粉々に砕けてまうんちゃうかてな。
せやかて17の男が7のフリして、しかも好きな女のそばに居るのに
何もしてやれへんなんて、この世で最も残酷な拷問やんか。
オレがお前の立場やったら、それこそ発狂してまうかもしれん。
別人にならな、生けていけんかもしれんよ」

「……」

「今この世界には、世間様の言う『工藤新一』はドコにも居らん。ソレが事実や。
せやけど、だからこそオレはお前を『工藤』呼ぶんや。そら中にはウッカリミスも
有るかもしれへんけど。
せやのにそのオレまでが、お前をもう一つの名前で呼んだら……したら本当のお前は
ドコへ行ってまうんや? そん時こそ、お前は消えてしまうんと違うか? オイ」

「……」

「けど。そんでもお前が、じぶんは工藤と違う言い張るんやったら。
工藤のくせに、工藤やないて主張するんやったら。オレは、今日限りで探偵廃業や。
お前の一番嫌いな人間になったるで。犯人っちゅう人間にな」

「!」

「安心し。痛いんは一瞬や。こないに華奢な首やったら、割り箸折るより楽勝やろ」

「な……」

平次を見る少年の目が、大きく見開かれた。

「嘘、でしょ? だって、そんな事したら大騒ぎに……」

「ああ、なるやろな」

平然と応じる平次。

「仮にも大阪府警本部長の息子が、少年Aが齢7歳のガキを、
ひと様の家で扼殺したなんて報道されたら。そしたら終わりや。
オレも、オレの家族も皆、イヤ……大阪全土が引っくり返るかもしれんわ。
昨今は関西にも猟奇事件は幾つかあるけど。あんな程度の事件、
全部吹っ飛んでまうやろ。きっとな」

「……」

「さぁて。コレが最後通牒や」

と、平次は若干、攻撃の力を弱めて尋ねた。

「お前は誰や? お前の名前は何や? 正直に言い。オレ、嘘は嫌いやからな」

「……」

少年は答えなかった。代わりに瞼を伏せ――笑った。ほっとしたような顔で。

「!?」

目の前の出来事に、平次は言葉を失った。

消えたのだ。自分がつかんでいた少年が。その身が、霧のように散ったのだ。

「なぁんだ。やっぱり、そうだったんだね」

「は……?」

爽やかすぎる声に、平次は思わず横を向いた。
当の少年は何事も無かったかのように、普通にベッドの脇に立っていた。

「流石だよ。『西の名探偵』って異名をもつだけの事はある。見事な論理だ。
こっちとしてはもう、拍手してあげたいくらいだよ」

と、少年は自らの両手を合わせてみせた。

「そう。平次にいちゃんの言う通り。新一にいちゃんて犯罪心理……っていうより、
心理学自体けっこう疎くてさ。今の自分の精神状態が如何に危ういかって事さえ、
把握してない傾向があるんだ。ソレがボクとしては見逃せなくって。
だから思いきって、一応テストさせてもらったんだ。
平次にいちゃんが、本心から信頼していい人なのかどうかをね」

……おかしい。何かが、おかしい。上手く言えないが、何かがズレている。

「そうだよ。残念だけど平次にいちゃんの推理は、肝心の前提に不備があるんだ。
『ボク』はずっと『ここ』にいる。
例えば、毎週毎週どこかの画面で、お客さんたちに頭を下げたりするのは『ボク』の役目。
だって、あんな恥ずかしい言い方、新一にいちゃん本人になんかさせらんない。
ホント大人って、どうしてあんな子供っぽい子供を求めるんだろうね?
ま、仕様がないんだろうけどさ」

「……」

「でも、まぁいいや。この世界には少なくとも一人は、新一にいちゃんの想いを
分かってくれてる人がいる。ソレで充分。ボクはボクで何とかやってくよ。
ゴメンね、あんなヒドい事しちゃって。許してなんて言わないけど。本当にゴメン」

「……」

語る少年の声を耳にしている平次の思考は、ほぼ完全に止まっていた。
自分が知っている限りでは、他人格と主人格は連続していないはずだ。基本的に。
ただし。例外を挙げるなら。ソレは人格たちが「統合」を目指している時。
本人が、それほどまでに強い意志を誇っている証拠。

「それじゃボク、もう行くよ。平次にいちゃんには、『ボク』は不要な存在だから。
新一にいちゃんの事、これからもヨロシクね。
でもボクとしては、やっぱりボクの事を名前で呼んでくれないのは悔しいかなぁ」

「あ……」

少年の姿が、輪郭が陽炎のようにゆらめき、薄れていく。

「もう二度と逢えない事、祈ってるよ。バイバイ」

「ま、待て!」

と、平次は絶叫めいた声と共に、虚空に去る少年へ腕を伸ばした。

「お前、まさか、ホンマに――!?」







自分がその名を呼ぶ声は、彼に届いたのだろうか。



分からない。その謎は、未だ解けずに残っている。





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