たった一人の君に

1.

 あらゆる意味で「規格外の新人検事」が入ってきたという噂は、自分も派出所時代に聞いていた。
 海外の学府を飛び級で卒業し、20歳にして検事の資格を得た天才。
 この経歴だけでも凄まじいが、その「新人」の本格的な武勇伝は、春の入局式から始まったという。
 検事局の入局式では毎回、その年の最終試験で首席を修めた新人検事によって、
所信表明演説が行われる。
 その原稿は本来、演説する当人がしたためるのだが、実際には上層部から渡された書面を用いるのが
慣例となっている。
 ところが、件の「新人」は、その長年の慣例を打ち破った。
 彼は原稿を朗々と読み上げた後、こう言葉を続けたのだ。
「以上ここまでは、検事局上層部から指示された文章をそのまま読んだだけである。
よって以下、本来的な意味での所信表明を述べさせていただく。
なお、コレはあくまで私個人の責任に基づくという事を断っておく」
 どよめく会場内を余所に、彼は変わらぬ声音で堂々と、最後の数分を乗り切った。
 なお、演説の終盤では、こんなフレーズまで飛び出したらしい。


「この世界の犯罪者にすべからく、然るべき罰を!」


 ………………何か、ドラマや映画から出てきた人みたいッスね。ソレ。
 上司から聞いた当時、正直な感想を答えたら、「実話だから怖いんだよ」と苦笑いされた事を覚えている。
 何にせよ、自分とは遠い出来事だと、その時は考えていた。
 まさか、その噂の「新人」と自分が関わる事になるとは、夢にも思わなかった。
 制服組を卒業し、刑事職に就いてすぐに出くわした殺人事件で、彼と出会った。
 入り組む謎を鮮やかに解き明かした彼の勇姿は、今も目に焼きついている。
 あの派手な服装や、持って回った言葉遣いも、忘れられる物ではない。 
 とにかく、自分はあの日から、彼に一生付いて行こうと決めたのだ。
 その決意から、気づいてみれば、はや数年。
 彼らの人生を揺るがすほどの大事件も、何度かくぐり抜けてきた。
 ならばこそ、今回こそは速やかに、確実な成果をお届けしたい……のだが。
「……こっちにも無いッスねえ……」
 糸鋸圭介は、しびれてきた体を起こして立ち上がった。
 彼が今、潜りこんでいたのは、現場近くのゴミ捨て場。
 人通りの少ない、細い橋の近くだ。
 現に、視界に入ってくる人々は、刑事や鑑識員たちなどの警察関係者しか居ない。
 そのずっと先、橋の上には、テープで書かれた白線枠と、その中心に残る黒い染みが見て取れる。
 序審法廷制度の敷かれている現在は、捜査のスピードが最重要視されている。
自分たちが今担当している、この殺人事件も例外ではない。明日はもう、裁判の初日である。
自分も、初動捜査を務めた証人として出廷する予定になっている。
 それなのに。この期に及んで、一番肝心だろう証拠が出てこない。
 被害者を刺した凶器である。
 解剖記録から、ごく細く鋭い刃物である事までは判明している。
 しかし実際問題、これほど探しても見つからないのだ。
「ああ、一体どんな顔で検事にお伝えしたらいいッスか。これ以上、今月の給料を減らされたら……」
「何をブツブツと言っている?」
「わっ!」
 聞こえた声に顔を上げたら、相手は目の前に立っていた。
「御剣検事! ご足労お疲れさまッス!」
 反射的に直立不動で最敬礼してから、率直な質問をさせて頂いた。
「ところで検事、こんな所まで、どうして」
「うム。そちらからの報告書に、いくつか気になる点があってな」
 御剣検事は、くるりと背を向けると、橋のたもとに集まる面々の所へ赴いた。
「鑑識。被害者が倒れていた場所の検分は、もう済んでいるのだろうか?」
 そう問われた職員たちも、そろって敬礼。
 それぞれ互いに言葉を交わし、やがて御剣が満足げにうなずいた辺りで、糸鋸もそばに近づいた。
 声をかけようとした、丁度そのタイミングで、逆に呼ばれた。
「イトノコギリ刑事。確か報告書では、『被害者は失血によるショックにつき即死』とあったな」
「は、ハイッス。事件の翌日すぐに調べてもらったから、間違いないはずッスよ」
「……残念ながら、その情報は既に古い」
「へ?」
「今朝、改めて監察医に問いただしたところ、被害者は刺された後も生きていた可能性があると
認められたのだ」
 御剣は、渡った橋の中央で、這うような姿勢で伏せた。
 そこから伸ばした腕を、橋の手すりの下に差しこんで動かした。
「やはり……この部分、隙間が空いているな」
 身を起こして立ち上がり、服の汚れを払い落としてから、腕を組んだ。
「恐らく、凶器を隠滅したのは被害者自身だろう。つまり、今の我々が注目すべきは」
 いつものように、御剣が腕を掲げて指を向けようとした、その時。
 立っている足下が、震え始めた。
 目に映る景色が揺れ動き、ガタガタと音が鳴り響き、周りの人々が声を上げる。 
「!」
 糸鋸は咄嗟に、倒れこんできた相手を腕に抱き止めた。
 引きずらないように注意しつつ、ゆっくりと橋から離れていく。
 安全な場所に着けた頃には、地震の方も収まっていた。
 背中越しに、あちらこちらからの会話が聞こえてくる。
「けっこう大きかったなあ、今の」
「震度2……3……いや4か?」
「大地震の前触れだったりしてな」
「何でもいいだろ、こんな事くらいで騒ぐな」
 ……皆ノンキな事、言ってるッスね……。
 それどころじゃない人が、今ここに居るというのに。
「大丈夫ッスか? 御剣検事」
「………………あ。ああ……」
 こちらを向こうとする彼の顔色は、明らかに悪い。
 浅くなってしまう呼吸を戻そうと必死になっている。
 糸鋸のコートの襟をつかんで、それで何とか立っている状態だ。
 一見、隙のないエリートとされる御剣が持つ、最大の弱点の一つが、この地震である。
 彼が子供の頃の出来事と直結している事もあり、詳しい事情を知る者は、数えるほどしか居ない。
 ただ事実として、地震(など激しい揺れ)に遭うと、御剣はどうしても平常心を保てなくなる。
 大抵は息を詰まらせ、数分ほど卒倒してしまう。
 逆に言えば、今日の症状はまだ軽い方だ。
「申し訳ないが……今しばらく、このままで居させてくれ。余計な騒ぎを、起こしたくない」
「ああ、ソレはもう。遠慮は要らねッスから、どうぞ」
 この体勢と角度なら、どやされて襟首をつかまれているようにも見えなくはないだろう。
「これで、二度目だな」
「え?」
「こうしてキミの胸を借りるのは、あの時以来だ」
「あ」
 思い出した途端、気恥ずかしさで顔が染まった。
「あ、あの時は自分、本当に失礼な事を……」
「気にするな。昔の話だ」
 御剣は、微苦笑を浮かべて言った。




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