2.

 彼ら二人は今でこそ、自然にコンビを組んで捜査しているものの、かつては風当たりが非常に強かった。
 最初の1年間くらいが、一番ヒドかったように思う。
 元々どの業界も、出る杭は打たれる、目立つ者は狙われるというのが常だ。
 糸鋸自身、捜査一課内で同僚から、「あんなガキにこき使われるなんて災難だな」と慰められた時は、
返事に詰まった。
 あまつさえ、御剣の師匠があの狩魔豪とあっては、平穏でいられるわけがない。
 御剣は入局式以降も、事ある度に検事局長や警察局長に呼び出され、査問会にも出向いた。
 実際に処分を受ける事は一度もなかったが、それはあくまで御剣が反論、論破したからこそである。
 並の者なら、一回目の査問会で首が飛んでいるはずだ。
 そういった上からの“攻撃”は、手を変え品を変え、延々と続いた。
 その一環として、彼が任される(というか押しつけられる)仕事量は、加速度的に増えていった。
 しかし彼の能力は、常識的なレベルを遙かに超えていた。とても一人では無理だろう事務も調査も、
軽々とこなしてみせた。それどころか、もっと効率的に進められる案を提出し、またも査問会と一戦を交えた。
 ――アイツは人間じゃない。事件を解く機械(ロボット)だ。
 そんな陰口を叩かれても、御剣は全く動じなかった。
 糸鋸たち刑事からの報告書を執務室で受け取る時も、常に落ち着き払っていた。
 無論、真相は違う。
 糸鋸が見る限りでは、御剣は確実に疲弊していた。
 というより、自ら進んで身をすり減らそうとしているようにも感じた。
 その後、そんな御剣の態度を徹底的に変えた出来事があった。
 被告人を法廷内で死なせてしまった、あの事件だ。
 ただでさえ激務に打たれ、不祥事に打たれた御剣に、最後のトドメを差したのが、彼の師匠だった。


 「恥を知れ」


 裁判の直後に告げられた、そのただ一言が、御剣の心を折った。
 と言っても、意気消沈したというわけではない。
 御剣が取った行動は、むしろ逆だった。
 まだ僅かばかりは見せていた余裕を、彼は完全に捨て去った。
 極端に、笑わなくなった。口もきかなくなった。
 師匠から託された衣装を着るのも止めた。
 ただ一心に、己の職務に追いこみ続けた。
 他の事柄は――食事も睡眠も――最低限しか求めなかった。
 普通の人なら平静を保てるはずがないと、糸鋸は今でも思う。
 だが、どうにも残念な事に、御剣はその苦行に打ち勝った。
 少なくとも表面上は、彼は変わらず有能のままだった。何者も敵わない鬼検事が完成されていた。
 忘れもしない、記念すべき初勝訴を手にした日も、御剣は淡々と手続を済ませていた。
 その日、法廷から廊下へ去って行く御剣に、糸鋸は追いついて声をかけた。
「あ、あの! 御剣検事、この度は」
「静かにして……いただけますか。次の案件に、集中……したいのですが」
「す、すまねッス」
「……」
 歩きながら書類を読む御剣の後ろで、糸鋸は首をすくめた。
 この、妙に余所余所しい言葉遣いだけは、どうか止めてほしいと思う。
 まるで感情のない棒読みなのも困るが、「です」「ます」の丁寧語で話されるのは、むず痒くて仕方ない。
 先日「あなた」と呼ばれた時は、本当に気が遠くなりかけた。 
 ため息交じりに、裁判所の正面玄関にたどり着く。
 扉が開くか開かないかというところで、張りこんでいた報道陣が一斉に押し寄せてきた。
「検事! 今回の有罪判決について、一言!」
「審議の時間は充分だったと思いますか!?」
「証言の操作があったという噂ですが! 真相を!」
 決壊したダムに居合わせたような迫力だった。
 しかも、大量のマイクが剣先のように突きつけられ、大量のフラッシュが銃弾のように襲ってくるのだ。
 糸鋸は、ほぼ初めての体験に、目を白黒させた。
「わわわ! 何スか、何スかコレ! ネクタイ引っ張らないで欲しいッス! 誰か、誰かが靴、踏んでるッスよ!」
 慌てふためきながら、辛うじて首を巡らせる。
 このままでは、あっと言う間に御剣と引き離されてしまうと焦った時。


「静粛に!!」


 法廷での裁判長にも劣らない声が響きわたった。
 その声が、騒がしい空気を、文字通り斬って捨てた。 
 辺り全ての物音が、消えた。
 誰も、何も言えなかった。
 誰一人、指一本、動かせなかった。
 ただ全員、声の主を見つめるしかなかった。
 その視線の中心に立つ彼は、赤い背広を翻して、人だかりの中に入った。
 彼が、滑るような足取りで一歩進むごとに、報道陣が一歩退く。
 まるで彼の周りに、目に見えない壁でもあるかのようだった。
 彼は、つと立ち止まり、糸鋸の方に振り返った。
「……急ぎましょう。車を……出します」
「え? ……はっ、了解ッス!」
 糸鋸は敬礼もそこそこに、一目散に駆け寄った。
 彼ら二人が人だかりから完全に離れた頃、再びフラッシュの焚かれる音が聞こえた。
 愛車を運転している間も、御剣は一切しゃべらなかった。
 警察局の駐車場に入って車を停めて、それでやっと口を開いた。
「降りて……下さい。私も、調べ物をしてから……帰ります」
「ど、どうもッス」
 糸鋸は頭を下げてから、ふと目に留まった事を訊いてみた。
 何となくの好奇心だった。
「そういえば検事って、運転席の窓、いつも少し開けてるッスよね。何かのオマジナイッスか?」
「別に、深い意味は……ありません。単に、密室の空間が苦手な……だけです」
「ああ、なるほど。確かに自分も、満員のエレベーターとかは好きじゃないッスね」
「それで…………それが、何か?」
「え。いや、その、別に」
 なぜか険悪な雰囲気になったような気がして、糸鋸は話を止めた。
 二人とも車から降り、目的地に向かおうとした時に、事は起こった。
「……おっ、地震ッスかね。ととと……………………ああ、まあ、そんな大したモンじゃなかったッスな。
 ねえ検事……って、け、検事ッ!?」
 ほんの数十秒の揺れを境に、倒れ伏してしまった相手を前にして、糸鋸は泡を食った。



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