4.

 …………しゃこッ、しゃこッ、しゃこーーぉッ、しゃこ…………。
 何だか変な物音で起こされた。
 くしゃくしゃになってるシーツの中から、顔だけ出す。
 カーテンの隙間から漏れてくる日の光が、少しまぶしい。 
 僕の隣で寝ていたはずの男は、既にベッドの外にいた。
 それどころか、もう完全カンペキに身だしなみを整えていた。
 髪も服も、何一つ乱れていない。
 下手したら、このホテルに来た時よりもキチンとしているかもしれない。
 そんな姿の御剣は、きびきびと部屋を歩き回りながら、何かを念入りに振り撒いている。
 何て言うんだっけ。あの、フラスコに引き金をくっつけたような、ルミノール検査で使うような、ああいう道具。
 御剣がその道具を構える指を引く度に、しゃこしゃこしゃこと音は鳴り続ける。
「やっと起きたか」
 振り返った御剣が、見ている僕に気がついた。
「まったく……いつまで経っても、いっこうに起きる気配がないから、どうしたものかと思ったぞ。
 まさか今回は、前の時のように、君を置いて先に出ていくわけにもいかんしな」
 しゃこ、しゃこ、しゃこ、しゃこ……しゃこ。
 そんな風に話しながらも、部屋中に霧を振り撒く手は止まらない。
 むしろ逆に、どんどん手つきはせわしなくなっていく。
「さあ、君も速やかに着替えたまえ。……いや、それよりも、その体を洗う方が先だな。
いずれにせよ、まずはソコから出る事だ。早く」
「いや……ソレは分かるけど・……お前、そもそも今……何やってるんだ?」
「見て分からんか?」
 しゃッこ!
 御剣が僕に体を向けたと同時に、霧がこっちに引っかかった。
「わっぷ!」
「ム……すまない」
 一応、人体には無害のはずだが。
 そう謝りながらも、やっぱり霧は撒かれ続ける。僕の周りにも。
「昨夜の証拠隠滅に決まっているだろう」
「……ショーコインメツ……?」
「あのような……行為の後、最も残る痕跡の一つ。ソレは臭い(におい)だ。
 取りあえず、部屋の各所に消臭剤を置いた上で、更に同様の物を噴霧しているが……
これでもまだ気休め程度。鋭い者には気づかれる」
「……ショーシューザイ……?」
「君もどうして寝起きが悪いな。これでは前回の再現そのものだ」
 スプレーを浴びせられてもまだ足りんとは……と御剣は苦りきった顔で言う。
「結局、夜明けの頃まで一晩中、あれほど散々暴れ回ってくれたのだ。その対価は高いぞ。
まして忘れたなどどは今度は言わせん」
 御剣は、消臭スプレー ――思い出した、ファ○リーズっていうんだアレ――のボトルをベッドの端に置いて、
一旦部屋から出ていく。
 確かにベッドの近くの棚には、似たような名前の箱も置かれていた。
 それで数分後、戻って来た御剣が両手に抱えていたのは、ホテル備え付けの洗面器。
「これでも食らえ」
 僕の前まで持ってきた洗面器を、おもむろに高く掲げてから、くるりと返す。
「!!!!」
 頭からざばざばと水をかけられて、それでも目を覚まさない人はいないだろう。
「な、な、な……、何すんだよいきなり!」
「たまたま顔を洗わせるために渡そうとした洗面器を、たまたま落として君を濡らしただけだ」
 これぞ無表情という面持ちで、しゃあしゃあと言う。
「故に君はやむを得ず、たとえ時間がかかろうとも、シャワーを徹底的に浴びざるを得なくなったというわけだ。
シーツもびしょ濡れになってしまった以上、これも浴室に運んだ方が望ましい。ついでだから、
ある程度の洗濯もしておきたまえ。あくまでも『ついで』だからな。それ以上の理由は何もない。……何もな」
「………………………………」
 僕は目を覚ましてからも、というか目を覚ましたからこそ、御剣の行動力に茫然としてしまっていた。
 ……まさかコイツ、この旅行が決まった最初から、こんな事まで何もかも準備して
待ちかまえてたんじゃないだろうな?
 なんていう策士。
 僕は思わず、首を下に折ってつぶやいた。
「いくら何でも、カンペキ主義にも程があるよ……」
「何か言ったか?」
「あ。いや、別に何でも」
「ならば、もう本当にいい加減にしてもらおうか」
 そう告げられて、顔を上げた時。
 さっきの水よりも、遥かに冷たい物が背中を駆け抜けた。
 腕組みしている御剣の顔が、ほとんど仕事中のソレに近い物になっている。
「チェックアウトの時刻まで、最早どれだけ迫っていると思ってる。
 我々には、一分たりとも猶予は残っていないのだぞ。
 よほどホテルの従業員に不審がられたいというならともかく……とっとと作業を始めんかッ!」
「は、は、はい! 了解しました!」
 あ。今、何となく、御剣に命令されるイトノコ刑事の気持ちが分かったかも。
 僕はかき寄せたシーツを両手で抱えて、ベッドから逃げ出した。
 御剣は再び消臭スプレーを手にして、今度は戸口辺りに霧を撒き始める。
 バスルームに飛びこむ寸前、御剣の横をすり抜けた時、耳のそばで囁かれた。
「次は私から君にする番だからな。せいぜい覚悟しておく事だ」
「……!」


 どうやら僕たちが、本当に恋人らしい夜を過ごせるのは、まだまだ先になりそうだ。

〈了〉



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