2.

「ところで。感動の出会いとやらにはオレも異論はねえが。その前に確かめたい事がある」
「え?」
「オレ達が今いるココは……、一体ドコのおとぎの国なんだろうな?」
 身を起こして立ち上がったオレは、改めて周りを見渡した。
 とにかく、白い部屋だ。天井も、壁も、床も。
 しかも、窓も戸口も見当たらない。当然、調度品なんかも一切ない。
 ともあれ、真っ当な場所じゃない事だけは確かだ。
「…………あ、その。ごめんなさい。もしかしたらコレ、私のせいかもしれません」
 もう泣きやんでいるチヒロは、すまなそうな顔でそう言った。
「先輩。私が霊媒師の家系だって事は、話した事ありますよね?」
「ああ。一応、少しだけなら聞いたっけな」
「もちろん私、日頃は霊力を封印しているんですけれど。
 だからこそ、何かの弾みで、その霊力が暴走してしまったのかもしれません。
 そこに先輩を巻きこんでしまったという事かも」
「ほう……。そんな事があるのか? 実際」
「ええ。倉院の霊媒師に、そういう例があったとは、聞いた事があります」
「で? 問題なのは、その『何かの弾み』ってのが何なのかって事だな」
「それは……」
 と、言いかけたものの、結局チヒロは答えなかった。
 正しく言えば、答える事が出来なかった。
「分かりません」
「分からない?」
「……実は。私、今、何も思い出せなくて。気がついたら、この場所にいたんです。
 それで、先輩が倒れているのを見つけて。それで」
「………………なるほど」
 オレは、かぶりを振った。
「要するに、よく分からねえ原因のせいで、コネコちゃんのあふれる想いが弾けちゃった、
ってワケか。難儀な事ったな」
「………………」
「どうした?」
「……先輩。今、何て言いました?」
「何て、ってな何だ? どの証言までさかのぼればいい?」
「『ナルホド』って言いましたよね。今」
「コネコちゃんがそう聞いたなら、多分そうだろうさ。しかし、ソレがどうかしたのかい?」
「ええ、ちょっと。何か思い出せそうな気がして」
 チヒロは頭に手をやりながら、言葉を繰り返した。
「ナルホド……ナル……うーん……。それとも、マルとかかしら……マルホド……マル……」
 どうでもいいが、マルホドなんて、少なくともこの国の言葉じゃねえな。
 霊媒関係の呪文か何かなら、話は別だが。
「…………」
 やがてチヒロの表情は、どこか思いつめたような物になっていった。
「おい。大丈夫か、チヒロ。顔がブルーになってきてるぜ」
「は、はい、一応。だって私が状況を把握できなかったら、ここから抜け出す事も――。
 ……!?」
 途中まで言いかけたチヒロの顔色が、変わった。
「や……、な……、何、コレ?」
 やにわに自らの体をかき抱く。その体が、小刻みに震えている。
「チヒロ!?」
「誰かが呼んでる。私を呼んでる。…………持って行かれる!」
 尋常じゃない様子の彼女の肩を、オレはつかんだ。
 腕に力をこめた、その時。
 オレ達は、“跳んだ”。


 ああ……すまねえな。
 いきなり“跳んだ”なんて言っても、アンタには意味が分からねえか。
 簡単に言えば、オレ達のいる場所が、急に変わったんだ。
 さっきまでの白い部屋とは違う、どこか暗い造りの部屋。
 オレ達が仕事柄、しょっちゅう世話になっている所。
 裁かれる者が送りこまれる小部屋――――留置所の中だ。
 オレ達は揃って、その部屋の今の主を見やった。
 ソコにいたのは、年の頃なら十六、七の、和服を着た小柄な少女だった。
 人込みの中なら目立つ事うけあいの髪型に結っている、長い髪をしたその少女は、
何かを一心に、ひたむきに祈り続けていた。
 目を閉じて、両の掌を合わせて。時折、小さな声で何かを唱えている。
 その少女を見ているうちに、ふとチヒロがつぶやいた。
「…………マヨイ?」
「ん?」
「ううん。そんなはず無いわ。だってあの子はまだ、こんな歳じゃ……」
 どうも、知り合いに顔が似ているらしい。
 と、その少女は、パッと目を開けて、パッと掌も離して言った。
「あーあ。やっぱり、ダメかあ……。もっと、ちゃんと修行やってれば良かったなあ……」
 頬杖をついて、ため息をつく。
「お姉ちゃん、いるんだよね。きっと、この近くに。
 なのに、あたしってば、きちんと呼びかける事も出来ないんだもん」
 ああもう、ああもう……と、独り地団太を踏む少女。
「あの人も、今日はもう、来てくれないかなあ。忙しいだろうし」
 もう一度ため息をついてから、少女は驚くべき単語を言った。
「なるほどくん……か」
「な――!?」
 途端、チヒロは血相を変えて、少女に詰め寄った。
「何!? 今あなた、何て言ったの!? 『なるほどくん』っていうのは、人なの?
 あなた何か知ってるの? その人の事。
 ねえ、答えてってば、ねえ!」
「よせ。チヒロ」
 焦っている様子の彼女を、オレは押しとどめた。
「オレ達の声は、あの子には聞こえねえようだぜ。
 それどころか、オレ達の姿自体、見えてねえようだ」
「そんな……」
 あの子に訊ければ、全部分かるかもしれないのに。
 そう言って、チヒロは悄然と肩を落とした。
 オレは、その彼女の肩を軽く叩いて告げた。
「けどそれでも、一歩くらいは前進できたんじゃねえのか?
 今のあの子の台詞は、オレ達の大切な道しるべだ。アンタが全てを思い出すための……な」
「ええ……。それは、そうですけど……」
 何か言いたげに、チヒロの表情は沈んでいた。
「一体これからどうすればいいのか、か?」
 オレは代わりに言ってやった。
「そんな事、そう簡単に分かったら苦労しねえさ」
「え?」
「こういう時はな。流れに身を任せるんだ。
 どんな物事だって結局は、なるようにしかならねえ。そう思っていれば、いずれ道は開ける」
「そう……ですね」
 少しだけ彼女の顔に笑みが戻った、その時。
「……!!」
 やにわにチヒロの顔が、強張った。
 またも自らの体を抱きしめる。目を大きく見開き、歯を食いしばる。
「来たわ……! また、誰かが……!」
「何だと!?」
「す、すごい、力(ちから)……さっきのとは、質が違う!!」
 体の震えは激しくなり、チヒロはヒザから崩れ落ちる。
 そう。オレ達は再び“跳んだ”。


 目を開けてみたオレ達がいたのは、見慣れない一室だった。
 陽の光の差しこむ窓。法律書の並ぶ本棚。丁寧に掃除されているデスク。緑の茂る観葉植物。
 恐らく、誰かの事務所のようだが。
「さて。今度は一体ドコに来たんだ? 分かるか、アンタ?」
「さあ……」
 と、チヒロは部屋を見渡しながら、首をひねっていた。
「ただ、ココにいると、落ち着くような、落ち着かないような……、変な感じです」
 彼女がそう言った時。ドアが開いた。
 入って来たソイツを見た時、一番に印象に残ったのは、鮮やかな「青」だった。
 青い背広、白いシャツ、赤いネクタイ。
 そして襟には、オレ達も身に付けているあのバッジ。
 まだピカピカの新品だった。
 バッジを付けている本人も、まだ新品――新人のようだ。
 年の頃ならチヒロと同じくらいの、二十代半ばの男だった。
 その男は、立っているオレ達の横を通り過ぎ、部屋のデスクに体をもたれさせた。
 やはりコイツにも、オレ達の姿は見えていないようだ。
「あら……?」
「何だ?」
「あ、別に。ただこの人、知らない人のはずなのに、初めて会った気がしなくて……」
 そう言われてみて、オレは気づいた。
 その男は、なぜか似ていた。今オレの隣にいる、彼女に。
 どこか不安げな、しかし強い意志を秘めた両の瞳。
 その瞳を閉じ、口許に指を伸ばし、ときおり思いを立ち切るように首を振る、その仕草。
 その男を見つめながら、ふとチヒロは頭に手をやった。
「どうした?」
「いえ、その。あの人を見ていたら、急に頭が……」
 そう言いながら、目を伏せて何度も首を振る。
「そうか。いよいよオレ達の謎に対する、答えの足音が聞こえてきたんだな」
「え、ええ。でも、何だか…………怖いんです」
「怖い?」
「上手く、言えないんですけど……。コレ以上、思い出そうと考えたら……」
「一体これから何が起こるのか、か?」
 オレは代わりに言ってやった。
「同じ台詞を二度も言いたかねえが。そんな事、そう簡単に分かったら苦労しねえさ」
「!」
「今のこの現象から、オレ達が抜け出せる可能性は、目の前にぶら下がっているんだ。
 喉が渇いてたまらない時に出された貴重な一杯を、無駄にしちゃいけねえ」
「………………」
「いいか、チヒロ。真実から目を逸らすな。たとえ、どんな時でも」
 そいつが、オレのルールだぜ。
 そうオレが言い添えると、チヒロはゆっくりと顔を上げた。
 まだ怯えの残った顔。だがその目には、彼女らしい輝きが戻っていた。
 オレ達は改めて、そばに立っている男の方を見やった。
 おもむろにデスクから離れた男は、本棚の本に手を当てながら、独りつぶやいた。
「千尋さん……」
 小さな声で、しかしハッキリと通る声で、男はチヒロの名を呼んだ。
「もっと、教えてほしかった。もっと、教わらなきゃいけなかった。
 でも……もう、会えないんですよね。もう二度と」
 下を向き、震える声で言葉を続ける。
「………………ごめん、千尋さん。
 千尋さんが追っている事件の事なんて、ぼくは何一つ知らなかった。
 初めての事件で手一杯で、千尋さんを散々困らせて、迷惑かけて。
 あの夜だって、そうだ。ぼくが遅刻しなければ。この事務所に残っていれば。
 いや、ぼくが……ぼくがもっとシッカリしていたら、所長は……千尋さんは……」
 その男の口から出た台詞を、オレ達は、間違いなく聞き取った。


 ――――殺サレナクテモ、済ンダノニ――――


 その、瞬間。
「そんな事ないッ!」
 声の限りに、チヒロが叫んだ。
「そんな事ないわ、なるほどくん! あなたが責任を感じる必要なんて無い!
 私が油断しただけなの! 決定的な証拠をつかんだと思って、
それで事務所の電話を使っちゃったから! 私が悪いの!
 だから、なるほどくんは、自分を責めたりなんかしなくていい! だから、だから――!」
「チヒロ!」
 オレは、叫ぶ彼女に一喝した。
「落ち着け。今のアンタ……ひどい洪水に溺れちゃってるぜ」
「あ……」
「どうやら、思い出せたみたいだな」
「……はい。おかげさまで」
 涙を拭ったチヒロがうなずいて答えた、次の瞬間。
 オレ達は、最初にいた場所に戻っていた。
 何もかも真っ白な、あの部屋に。
 チヒロもまた、最初の姿に戻っていた。
 時を重ねた、落ち着いたお姉さんが、そこにいた。



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