Immorality ―― Side M ――

 眠りたい。
 あの悪夢と入れ替わりに、このところ見るようになった夢がある。
 疲れている時、憂えている時、やるせない時に――。
 目覚めれば、儚く消え去ってしまう、甘美にして、罪深い夢を。


 その夢の始まりは、遠い常闇の底から現れる、微かな人影。
 その人影を見るうちに、夢と現(うつつ)との境界を、私は少しずつ見失っていく。


 私の前に、訪れる君。
 どこか底知れない色を湛えた、何もかも見透かしているかのような、黒目がちの君の瞳。
 その瞳が、やがて私の姿を捕える。
 その君は、今夜も私の前にひざまずく。それが当たり前であるかのように。
 服の中に差し込まれた手によって、引き出される物。
 本来ならば、どこよりも慎み深く、数多くの布で隠さねばならない器官。
 最初の頃は、ただ悩ましげに指を添え、撫で上げてくるだけだった。
 しかし、今はもう、そんな生易しい段階は通り越してしまっている。
 既に立ち上がっている物の先端に、そっと口づけてから、全体を口にくわえ込んでいく。
 まるで食べ物でも食むように。唇と舌を動かして。
 気がつけば私は、我ながら信じられないほどの、はしたない声で喘いでいる。
 私たちのしているこの行為が意味している事を、もはや私は認めざるを得ない。
 君と視線を交わしながら、私の心は大いに惑う。
 やめてくれ。お願いだから許してくれ。どうかこれ以上、私を誘惑しないでくれ。
 皆の前で、私の前で、いつも微笑んでいる君。
 今の君は、私の全てを知っている、そう思っているかもしれない。
 けれど。
 もしも私が、君にこんな行為を強いてしまっていると知ったら。
 君は果たしてどんな態度を示すだろうか。
 きっと呆然とするだろう。嫌悪感を持つかもしれない。
 それ以前に、全くもって信じようともしないかもしれない。
 本当は、こんな形で、君を壊すような真似を、私がしていると知ったら。
 こんな形で、君に求めてしまっているなんて。
 私は、揺らいでしまいそうな腰を抑えながら、君の頭に手をかけた。
 つかんだ髪を引き寄せて、押しつける。
 そうやって捕まえてから、強く腰をくねらせる。
 駄目だ。駄目だ。駄目だ。
 いくら言っても足らない。
 こんな行為を、続けているだけでも限界なのに。
 君を貫いてしまいそうな自分がいる。
 酸素を奪い取るほどに口づけて。逃げ出せないほどに抱きしめて。
 そして私の欲を解き放つ。
 そうしたら、その時の君は、一体どんな態度を示すだろうか。
 顔を真っ赤に火照らせて?大粒の涙を零して?
 悲鳴のような啼き声を上げて?激しい身悶えを繰り返して?
 否、それとも至極あっさりと、全てを受け入れてしまうのかもしれなくて。
 しかし、そのような事は有り得ない。有ってはならない。
 君は私の思い出の主であり、私の人生を変えた一人であり、かけがえのない友であり。
 そして、何よりも。
 私は、君と同等の立場でいたいから。上にも下にも立ちたくはないから。
 私がこんな形で君に悩まされているという事も、君ならいつか見抜くのだろう。
 私は自らを偽り欺く事は出来ないし、偽り欺くつもりもないから。
 それでも、今はまだ、君の前では、私は普通の知人のままで。
 しかしながら、この夢の中でだけは、私は――。
「……っ、…………あ……」
 自分の声音が変わる。終わりの近づいている証左だ。
 もう、私の方からは動けない。その代わりに、下半身へ与えられる刺激が増加する。
 そうだ。今夜も呼ぶ事になる。君の名前を。
 そう、君の名前を言ってしまえば、この快楽は終わってくれる。いつも。
 口を開いて、君の名を呼んだ、その瞬間。
 そこで世界は、現実へ引き戻された。


 瞼を上げると、見知った天井が視界に入った。
 感じているのは、夢で良かったという安堵感と同時に、そしてなぜか寂寥感。
 私は、僅かに残る夢の余韻を、頭の中から消し去った。


 これからの、新たな一日を始めるために。

〈了〉



Side N

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